東京地方裁判所 昭和54年(ワ)10903号 判決 1980年6月27日
原告
阿部博安
被告
日本火災海上保険株式会社
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者双方の申立
一 原告
1 被告は原告に対し、金一一二万円およびこれに対する昭和五三年一一月一八日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言を求める。
二 被告
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
との判決を求める。
第二当事者双方の主張
一 原告の請求原因
1 保険契約
原告は、昭和五〇年一〇月二八日、被告との間で、原告が所有し自己のために運行の用に供する自家用軽貨物自動車(六六大宮あ二六三一号・以下、加害車という。)につき、保険料金一万四五〇〇円、保険期間同月二九日から昭和五二年一一月二八日までとする自動車損害賠償責任保険(以下、自賠責保険という。)の契約を締結した。
2 事故の発生
(一) 事故状況等
原告は、昭和五二年七月一四日午後四時半ごろ、加害車を運転し、東京都福生市本町八二番地先路上を、拝島方面から羽村方面に向けて毎時三〇キロメートルで進行中、自動車運転者としては常に前方左右を注視して事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたにもかかわらずこれを怠たり、左方の路地の方に気をとられていたため、進路前方を右側から左側へ横断中の訴外吉井マサを至近距離に至つて初めて発見し、急制動の措置をとつたものの間に合わず、加害車右前部を同女に衝突させ、その結果、同女をして同月一六日午後三時五一分脳挫傷・肺挫傷により死亡させるに至つたものである。
(二) 死亡による損害計 金一七四四万九二四〇円
(1) 逸失利益 四八七万九二四〇円
右訴外亡吉井は、本件事故当時、満六六歳(明治四三年八月一〇日生)の女性で、子供夫婦らとともに生花業に従事していたものであるが、本件事故に遭遇したため、右生花業による得べかりし利益を喪失したものである。そこで、右訴外人の死亡による逸失利益を、昭和五二年賃金センサス東京・小売・企業規模計・女子労働者・学歴計・六〇歳以上の年間収入金一五〇万九九〇〇円(月一一万二四〇〇円×一二月+一六万一一〇〇円=一五〇万九九〇〇円)、就労可能年数八年(厚生省同年簡易生命表による平均余命年数によれば、満六六歳の女性の平均余命は一六・四四年であるので、就労可能年数は、右平均余命の半数に当る八年とするのが相当である。)、そのライプニツツ係数六・四六三、生活費控除五〇パーセントとして計算すると、金四八七万九二四〇円(一五〇万九九〇〇円×六・四六三×((一-〇・五))=四八七万九二四〇円)となる。
(2) 慰藉料 金一、二〇〇万円
(3) 葬儀費用 金五七万円
(三) 死亡に至るまでの傷害による損害計金八二万九九五〇円
(1) 治療関係費 金七六万二九五〇円
(イ) 看護料 金七二〇〇円
(ロ) 入院雑費 金一五〇〇円
(ハ) 医療費 金七五万四二五〇円
(2) 休業損害 金一万〇一〇〇円
(3) 傷害慰藉料 金五万六九〇〇円
3 示談契約
(一) 原告は、昭和五三年六月四日、死亡した右訴外吉井の相続人らとの間で、原告が本件事故に関し右相続人らに対し金一一四一万九九五〇円の支払義務あることを認め、右両者間にはその余に何らの債権債務が存在しないことを確認する旨の示談契約が成立した。
(二) ところで、これより先、右相続人らは被害者請求により被告より金一〇二六万九九五〇円を受領済であり、また、原告より金一五万円を受領済であつたので、右示談契約成立日に原告より残金一〇〇万円を受領した。なお、右金一五万円のうち金三万円は香典である。
4 被告は、自賠責保険その他の保険を業として営む商人であり、原告との間に締結した前記1の保険契約は商行為としてなされたものである。したがつて、本件保険金債務は商行為によつて生じた債務である。
5 よつて、原告は被告に対し保険金請求権として金一一二万円(右相続人らが原告から受領した金一一五万円から香典金三万円を控除した残額)およびこれに対する本件第一回調停日の翌日である昭和五三年一一月一八日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 被告の答弁と主張
1 答弁
請求原因1の事実は認める。同2(一)の事実中、原告がその主張の日時ごろ、加害車を運転し、前記場所を進行中、加害車を右訴外吉井に衝突させ、その結果、同女をして、その主張の日時脳挫傷により死亡させたことは認めるが、その余の事実は否認する。同2(二)の事実中、右訴外亡吉井が本件事故当時満六六歳(明治四三年八月一〇日生)であり、原告主張通りの年収を得ていたことは認めるが、その余の事実は知らない。同2(三)の事実中、(1)(イ)(ロ)(ハ)の事実は認めるが、(2)(3)の事実は知らない。同3(一)の事実は知らない。同3(二)の事実中、右相続人らが被告より金一〇二六万九九五〇円を受領済であることは認めるが、その余の事実は知らない。同4の事実は否認する。
2 主張
本件事故は、原告が制限速度内で前記道路を直進していたところ、右訴外亡吉井が右道路の右側から左側へ斜めに小走りに横断し始め、同道路中央付近で、加害車に気付き一時立ち止まつたものの、さらに、横断しようとして、加害者に衝突したものであるから、本件事故は、原告の前方不注視だけではなく、右訴外人の右のような過失も原因となつて発生したものである。したがつて、本件損害額を算定するに当つてこの点を斟酌すべきである(右訴外人の本件事故に対する過失割合は三割以上である。)。してみると、右亡訴外人の適正損害額は、被告の前記支払金額内に収まるものである。よつて、原告の本訴請求は失当である。
三 被告の主張に対する原告の答弁
右主張事実は否認する。
第三証拠関係〔略〕
理由
一 保険契約
請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 交通事故の発生
1 請求原因2(一)の事実中、原告がその主張の日時ごろ、加害車を運転し、前記場所を進行中、加害車を右訴外吉井に衝突させ、その結果、同女をして、その主張の日時脳挫傷により死亡させたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三ないし第一一号証、乙第三ないし第五号証によると、原告は、本件事故直前、前記道路左側部分を拝島方面から羽村方面に向けて毎時約三〇キロメートルの速度(制限速度毎時四〇キロメートル)で加害車を進行させていたものであるが、このような場合、自動車運転者としては事故の発生を未然に防止するため前方左右を注視しながら加害車を運転すべき注意義務があつたにもかかわらずこれを怠り、左前方の路地の方に気をとられたまま加害車を運転したため、進路前方を右側から左側へ横断中の訴外吉井マサを至近距離に至つて初めて発見し、あわてて急制動の措置をとつたものの及ばず、加害車右前部を同女に衝突させ、その結果、前記のとおり同女を死亡させたことが認められ、これを左右するに足る証拠はない。
右事実によると、本件事故は、原告の前方不注視等の過失によつて発生したものであることが明らかであるから、原告は同女の被つた後記損害につき民法七〇九条所定の損害賠償義務を負担すべきである。
2 前記各証拠と成立に争いのない甲第二〇ないし第二二号証によると、同女は、本件事故により左記損害を被つたことが認められ、これを左右するに足る証拠はない。
(一) 死亡による損害計金一三三七万九二四〇円
(1) 逸失利益金四八七万九二四〇円
右訴外亡吉井は、本件事故当時、満六六歳(明治四三年八月一〇日生)の健康な女性で、長女訴外吉井文子夫婦の営なむ生花業の手伝いをしており、これにより、原告主張のとおり、年間金一五〇万九九〇〇円を下らない収入を得ていた(ただし、請求原因2(二)の事実中、右訴外亡吉井が本件事故当時満六六歳((明治四三年八月一〇日生))であり、原告主張通りの年収を得ていたことは当事者間に争いがない。)ことが認められる。そこで、右年収を基礎として、就労可能年数八年(ライプニツツ係数六、四六三)、生活費控除五〇パーセントと考えて同女の逸失利益を算出すると、金四八七万九二四〇円(金一〇円未満切捨)となる。
(2) 慰藉料金八〇〇万円
前掲各証拠によつて認められる訴外亡吉井マサの本件事故当時における年齢・健康状態・社会的地位、右事故の態様・程度、死亡に至るまでの経緯等諸般の事情(たゞし、後記過失相殺の点を除く。)を斟酌すると、同女の精神的苦痛を慰藉するためには金八〇〇万円が相当であると認める。
(3) 葬儀費用金五〇万円
同女の葬儀費用としては、右のような事情を考慮して、金五〇万円が相当であると認める。
(二) 死亡に至るまでの傷害による損害計金七七万三〇五〇円
請求原因2(三)(1)(イ)(ロ)(ハ)の事実は当事者間に争いがなく、これによると、同女は、本件事故のため、看護料金七二〇〇円、入院雑費金一五〇〇円、医療費金七五万四二五〇円を要したことになる。また、成立に争いのない乙第六号証によると、同女は、このほか、文書料金二六〇〇円、休業損害金七五〇〇円を要したことが認められる。
なお、原告は、同女の傷害慰藉料としては金五万六九〇〇円が相当である旨主張するが、右慰藉料については、死亡慰藉料の一事由として斟酌したので、右主張は失当として採用し難い。
3 ところで、前掲各証拠によると、原告が前記日時ごろ前記道路を加害車を運転して進行中、右訴外亡吉井は、突然、同道路の右側から左側へ斜めに小走りに横断し始めたが、このような場合、あらかじめ前方左側を十分注視しながら同道路を横断すべき注意義務があつたにもかかわらずこれを怠つて同道路を横断した過失により本件事故を発生させたものであることが認められ、これを左右するに足る証拠はない。
右事実に照らすと、本件事故は、原告の前記過失と右訴外亡吉井の右のような過失とが競合して発生したものというべく、その過失割合は、原告が七割、右訴外亡吉井が三割であると認めるのが相当である。
そこで、同女の総損害額計金一四一五万二二九〇円につき右過失割合で過失相殺すると、その残額は金九九〇万六六〇三円となる。
三 示談契約等
前掲各証拠と成立に争いのない甲第一四、第一六ないし第一九、第二三、第二四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二、第一二、第一三、第一五号証によると、右訴外吉井は本件事故で死亡したため、同女の子である訴外吉井文子(長女)、同幸次(養子)、山内正(長男)、同栄士(次男)が訴外亡吉井マサの右金九九〇万六六〇三円の損害賠償請求権を法定相続分に応じて相続したこと、ところで、原告は、昭和五三年六月四日、右相続人らとの間で、本件事故に関し、原告が右相続人らに対し金一一四一万九九五〇円の支払義務があること、ただし、右相続人らは、すでに、被告から金一〇二六万九九五〇円を、原告から金一五万円(香典金三万円を含む。)をそれぞれ受領しているので、原告は、同日、右相続人らに対し、その残余金一〇〇万円を支払うこと(たゞし、右相続人らが被告より右金一〇二六万九九五〇円を受領済であることは当事者間に争いがない。)、右相続人らと原告との間には、右以外に何らの債権債務が存在しないことを相互に確認する旨の示談契約を締結し、原告は、同日右相続人らに対し、右金一〇〇万円を支払つたことが認められ、これに反する証拠はない。
四 ところで、原告は右示談契約に基づいて右相続人らに対し支払つた金一一五万円のうち、香典代を除いた金一一二万円を被告に請求する旨主張しているけれども、前記のとおり、本件損害額は金九九〇万六六〇三円であり、さきに、右相続人らは被告よりこれを超える金一〇二六万九九五〇円を受領しているので、右損害はすでに填補されており、被告は、もはや右金員を超える金員を右相続人らに支払うべき義務は存在しないものといわざるを得ない。もつとも、原告は、右示談契約により、さらに、右相続人らに対しその主張の金員を支払つているけれども、前掲各証拠によると、右契約は、原告と右相続人らとの間で、被告とは関係なく締結されたものであることが認められるから、被告は、右契約の内容に法的に拘束されることはないものというべきである。そうすると、原告が被告に対して右金一一二万円を請求する法的根拠はないので、結局、原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、失当としてこれを棄却すべく、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 松本朝光)